こんにちは!Ninoです!
今回は「無知」について紹介します。
私たちは、知識に囲まれた世界に生きていて、コミュニティの中で共有されている知識を活用しています。
知識は個人的なものではなく、集団的なものなのに、私たちは自分の知識に対して自信過剰になってしまいます。
その結果「知識の錯覚」が起こり、自分自身の「無知」に気づくことができません。
自分自身の無知を自覚し、謙虚な姿勢をとるということが重要になってきます。
・知識のコミュニティについて
・知識の錯覚について
無知について
私たちは、知識に囲まれた世界に生きていて、コミュニティの中で共有されている知識を活用しています。
知識は個人的なものではなく、集団的なもので、私たちは自らの頭の中だけでなく、外側の知識を活用しています。
しかし、私はそのことに気づくことができず、「知識の錯覚」に陥ってしまいます。
そのため、知識に関しての理解を深め、罠に気をつける必要があります。
知識のコミュニティ
私たちは知識に囲まれた世界に生きています。
知識は全て自分の頭の中にあるのではなく、コミュニティの中で共有されています。
つまり、知識は個人的なものではなく、集団的なものだということです。
私たちは、自らの頭の中だけでなく、外側にも知識があり、それらを活用しています。他人、ネット、本、環境などの外部装置に頼ることで、賢くなることができます。
しかし、私たちは自分の知識に対して自信過剰になってしまい、自分が思っているよりも無知であることを認識していません。
また、現実世界についての知識は必然的に、自ら経験したことに知識が偏ってしまいます。
大きな成功を収めるには、知識のコミュニティにアクセスし、集団知能を活用する必要があります。
無知と錯覚
一見単純そうに思えるものも含めて、物事の多くは複雑です。
そのため、私たちはすべての側面を理解することは不可能で、抽象的知識に頼り、具体的な細かい部分を見ることができません。
その結果「知識の錯覚」が起きてしまいます。知識の錯覚には「説明深度の錯覚」や「理解の錯覚」などがあります。
説明できるほどの知識を持ち合わせていないのに、自分の知識を過大評価してしまう。
見たことある、知っていることを、理解していると混同してしまう。
無知が悪いのではなく、無知と自覚していないことが悪いのです。
「分かっていないことが分かっている」なら対処が可能ですが、「分かっていないことが分かっていない」なら対処ができません。
知識の錯覚にはメリットもあり、知らないことで、楽しい、創造的、自信などにもつながることもあります。
最後に
無知について重要なことをまとめます。
・私たちは、知識に囲まれた世界に生きていて、コミュニティの中で共有されている知識を活用している。
・知識は個人的なものではなく、集団的なもの。
・自分の知識に対して自信過剰になることで「知識の錯覚」が起こる
・自分自身の無知を自覚し、謙虚な姿勢をとることが大事。
・無知が悪いのではなく、無知と自覚していないことが悪い。
・「分かっていないことが分かっている」なら対処が可能だが、「分かっていないことが分かっていない」なら対処ができない。
知識は個人的なものではなく、集団的なもの。
私たちは、知識に囲まれた世界に生きていて、コミュニティの中で共有されている知識を活用しています。
自らの頭だけでなく、他人、本、インターネットなどの外部装置に頼ることで、賢くなれます。
そのため、自分の知識に対して自信過剰になってしまい「知識の錯覚」が起こり、自分自身の「無知」に気づけなくなってしまいます。
そのため、謙虚な姿勢で無知を自覚することが大事です。
以上です!それではまた!